サラ・ウォーターズ『夜愁』上下(創元推理文庫)

2006年度ブッカー賞最終候補作。前2作『半身』『茨の城』はヴィクトリア朝ゴシックロマンサスペンスものでしたが今回の作品はガラリと趣きを変え時代は第二次大戦中〜戦後の物語。1947年→1944年→1941年と年代を遡っていく構成で主人公たちの過去への興味を引っ張っていく形になっている。ただし、今までの作品にあったミステリ風味はなく、転がるような物語の展開もないです。


『夜愁』はいわば「戦争小説」の側面と「恋愛小説」の側面を持った「普通小説」の粋。リアリズムに徹して淡々と物語が進んでいく。今までの起伏の激しい物語を求めると肩透かしを食うかもしれません。しかし、ゆるりと進むこの物語は視覚的に印象的なシーンが多く吸引力はとてもあります。また「戦争小説」としての部分が非常に秀逸で戦時中〜戦後のイギリスの市民たちの状況の描きこみ方が活き活きしている。「戦争」というものが何なのかを考えさせるだけのものがありつつ、人の営みのたくましさ、「生活」というものをバランス良く描きこむ。


そして、サラ・ウォーターズといえばレズビアン小説としての側面を忘れてはいけません。今までの作品ではスパイスとしてあった「百合」の部分が『夜愁』ではメインとして提示されます。今までの作品は少女まんが風の耽美さの「百合」でしたけど、今回はその部分の甘ったるさは無い(恋愛小説としての甘い描写はありますけど登場人物は成熟した女たちです)。サラ・ウォーターズとしてはこれが書きたかったんだな、と思いました。今回の作品のなかでのカップルはいわゆる普通のカップルは出てきません。レズビアンホモセクシャル、そして異性愛好者でも不倫カップルです。抑圧される立場での恋愛もの。私はいわゆるベタベタな恋愛小説が苦手なタイプでそういう意味では今回「恋愛小説」の部分はどうもノレませんでした。「恋愛」が主になっていなければ、かなり好きな部類の小説なんですけど…。この部分がもう少し押さえた筆致であればと思わずにはいられません。それと、男性陣のほとんどに魅力がありません。それもどうなのかと…。まあ、女性陣も魅力的か?と問われれば…感情移入できるタイプの女性はいませんでしたけど…。題材が良いだけに少しもったいない小説だなと思いました。


さて、今まで「百合萌え〜」とか言ってサラ・ウォーターズを読んでいた方々には少女マンガ風味さが無いリアルなレズビアン小説をどう受け止めるのでしょうか(笑)

夜愁〈上〉 (創元推理文庫)

夜愁〈上〉 (創元推理文庫)

夜愁〈下〉 (創元推理文庫)

夜愁〈下〉 (創元推理文庫)