東京新聞『染五郎 放蕩男「憎まれきる」 「女殺油地獄」の与兵衛役3度目』

東京新聞に『二月花形歌舞伎』に臨む染ちゃんのインタビュー記事が載りました。憎まれきる与兵衛に、と本人に言いますがなれるかな?染ちゃんがこういう悪役を演じるとどこか切なくなりますが、今回もどこか哀れさのある人物像になりそうな気もします。今回、普段歌舞伎では演じられない「逮夜」の段も付けるようですが文楽の本行通りではなく新たに脚色してもらったようですね。初日は2月1日(火)、とても楽しみです。

<歌舞伎>染五郎 放蕩男「憎まれきる」 「女殺油地獄」の与兵衛役3度目


 市川染五郎が、来月一日から東京・ルテアトル銀座で始まる「二月花形歌舞伎」第二部「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」で、河内屋与兵衛を勤める。近松門左衛門の異色作。高麗屋には縁がなかったが、染五郎は十年前に片岡仁左衛門に教わり初役で勤めて評判を取り、今回が三度目。新たに脚本に加筆し、最大の見せ場となる油まみれの殺人から、最後に捕まる「逮夜供養(たいやくよう)」までを通す。染五郎は「最後まで改心しない、客席から石を投げられる与兵衛を演じきりたい」と意気込む。 (藤英樹)


 「女殺〜」は近松の晩年、実際に起こった油屋の女房殺害事件を題材に書いたといわれる。


 大坂天満の油屋・河内屋の息子与兵衛は、実父の死後、番頭上がりの継父が甘やかすのをいいことに放蕩(ほうとう)、乱暴のし放題。ついに勘当されるが、近所の油屋・豊嶋屋(てしまや)の女房お吉(市川亀治郎)が目をかけてくれるのをいいことに借金返済の金を無心するが断られ、衝動的にお吉を殺害し、金を奪って逃げる。その後も新地で遊びほうけるが、お吉の供養の席で捕まる。


 近松の死の三年前、大坂で人形浄瑠璃として初演されたものの、与兵衛のあまりの救いのなさゆえか、江戸時代には再演されなかった。約百九十年後の明治の末になって坪内逍遥が復活し、西洋劇のリアリズムの風潮もあってか、以後は人気狂言となった。


 染五郎は「傑作をいくつも発表してきた近松が、なぜ晩年になってこの異色作を書いたのか大変興味があります。お吉殺しが一番盛り上がる場面なのは確かですが、近松が何を書きたかったのかを知るには、その後の『逮夜』までをドラマチックにお見せする必要がある」と語る。染五郎のこうした考えをもとに脚本家の斎藤雅文さんがサスペンス仕立てに加筆した。


 「お吉殺しに至る落差を大きくするために、前半は与兵衛を愛嬌(あいきょう)のあるかっこいい人物として演じなければなりません。倒れる姿も絵になるように。だからこの芝居は序幕がすべて。彼は決してうそつきなのではなく、その場その場が本気。計画性もない」


 最後まで救いのない与兵衛にこだわる。「殺人は彼の中の“魔王”が勝手にやっている、というのが僕の解釈。殺人から逮夜まではとらえどころのない人物像を明確に出す。お客さまがもうついていけないと言うように。改心はあり得ない。近松は主役が徹底的に拒絶されるドラマを書きたかったのではないか」


 与兵衛は父の幸四郎も祖父の白鸚も、高麗屋の先祖は誰も演じていない。染五郎は「家に縁がないから、仁左衛門のおじさまにあこがれ、逆に思い切り飛び込んでいけた。誰よりも演じ続けたい狂言」と熱い。


 第一部の四世鶴屋南北作「於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)」では、鬼門の喜兵衛を勤める。こちらは二年ぶり四度目。父の幸四郎は勤めていないが、江戸後期に活躍した五世幸四郎が当たり役とした実悪。五世と同じほくろをつけて演じるという。


 「ご先祖にあやかりたい。喜兵衛は実は小さなことしかできない男ですが、いかに大仰に凄(すご)みを利かせるかが大事。存在感を見せます」


 二十五日まで。第一部は午後零時半、第二部は同四時半または六時半から。一万三千五百〜三千円。(電)0570・000・489。

東京新聞http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/tradition/CK2011012302000078.html