世田谷美術館『メキシコ20世紀絵画展』

snowtree-yuki2009-08-02

友人に世田谷美術館『メキシコ20世紀絵画展』の招待チケットをいただき、「今日は曇りで涼しいし散歩日和かも」と思い立ったが吉日で早速行ってきました。出掛けは曇りで薄日がさしていたので晴雨兼用の日傘を持っていったんですが用賀駅に着いたら雨が降り出していた…。普通に雨傘にすればよかったと少々後悔。でも初志貫徹、バスは使わず、のんびり遊歩道を歩いて行きました。雨に濡れた緑が綺麗で歩いて正解。

さて世田谷美術館『メキシコ20世紀絵画展』ですが、予想以上に良い展覧会でした。私はメキシコ絵画は今までほとんど観てきてないし、なのでメキシコの近代の歴史に沿った作品を見ることができたのは勉強になりました。

ポスターとチケットが日本初公開のフリーダ・カーロの『メダリオンをつけた自画像』なのでフリーダ・カーロの絵が中心なのかと思ったらなんとこの絵1点のみでした。今回の目玉作品ということで別格扱い。最初の広い空間のところにこれ1点のみが展示。でも、この絵の存在感はちょっと凄かったです。それほど大きい絵ではないんです、むしろ小さい。でもフリーダ・カーロが自身を見つめた、その時間とか意識とかがこちらに伝わってくる、そんな感じです。目を離してはいけないような気になってくる。特別扱いもむべなるかな。この1点だけでも十分満足できそうな勢いでした。

他の作品は通常の展覧会と同様の展示です。「文明の受容」「文化の発信」「進歩」という第三章からなっています。これらの絵画はメキシコの革命後のメキシコ近代史と重なります。メキシコの近代美術は「社会」と密接に関わっています。メキシコ文化を国内外に発信する手立てとしてのアートという側面が強い。本来なら壁画運動のなかで生まれた壁画を観ないと、という部分もあるかもしれませんが、今回の展覧会でもその側面は十分に伝わってはくるものでした。近代化における弊害も絵の中には表現されている。

とはいえ、自分の感性で絵の面白さ、美しさなどを単に鑑賞するのが私の基本ですので(笑)、小難しいことは抜きにして、心惹かれる絵を中心に観ていきました。全体的には力強く、線が太く暗いものが多い。エネルギーを溜め込んでいるような洗練されてない力を感じます。暗さという部分で「死」というものの気配も濃厚。絵の一つに「理不尽な死」が「メキシコ人の宿命」というモチーフのものがありましたけど、それに象徴されるような強烈な何かが潜んでいるように思いました。生と死が隣り合わせの濃さみたいなものがそこにある。また喜びというよりは怒り、哀しみといったものが表に出ていて、どちらかというと泥臭い表現のものが多い。当時の西洋絵画の手法から抜けているわけではなく影響をもろに受けていながらも、そこから洗練をあえて捨てている感じもしました。

私はどちらかというと洗練されたものが好きなので、端正な作風の作家に惹かれてしまうので個人的にはサトゥルニノ・エランの絵画がかなり好み。エランの絵はすべて「あ、いいなあ」と思って観ていました。また顔が白い布で覆われた人々の頭部を描いたギエルモ・メサ『信仰心篤い人たちの頭部』は個人的にかなりインパクトがあってすべてを観終わって出る時にわざわざまた観に行ってしまったくらい気に入った。好みではないけどセ・クレメンテ・オロスコの絵の強さも印象的。フリーダ・カーロの旦那のリベラの絵はそれほど印象に残らず。なぜかしら?

併設されていたホセ・グァダルーペ・ポサダの版画が面白かったです。雑誌や新聞(いわゆる大衆紙)の挿絵なんだけど、猟奇事件やら政治風刺を扱って骸骨の絵が中心。なんというか、扱っている記事のありえなさのなかのリアルが絶妙。ヨーロッパの風刺画とは違う、突き抜け感。