ジョン・バンヴィル『海に帰る日』(新潮クレスト・ブックス)

最愛の妻を失った老美術史家が、遠い日の記憶に引き寄せられるように、海辺の町へと向かう。あの夏の日、双子の弟とともに海に消えた少女。謎めいた死の記憶は、亡き妻の思い出と重なり合って彼を翻弄する。荒々しく美しい、海のように――。(新潮社:http://www.shinchosha.co.jp/book/590061/)

ジョン・バンヴィルは別名義ベンジャミン・ブラックで書いたミステリ『ダブリンで死んだ娘』を先に読んでしまったのですが、同じ筆とは思えない…翻訳とはいえ普通はどこかしらに同一作家の匂いがあると思うのだけどそれがほとんどない。小説の構造としては同じものを使っているのに、これだけ受ける印象が違うとは。あえて言えば人を見る目の辛辣さ、でしょうか。
『海に帰る日』は語り手の現在、近い過去、遠い過去が混在して語られていく。死に縁取られた物語を淡々と静謐ともいえる文体で綴っていく。その文章はどこかゆらゆらと揺らめき物語は記憶の曖昧さと共におぼろげ。
少年時代の切なくも甘酸っぱくも切ない思い出、そして愛する妻が癌に侵され死に至った日々の思い出、そしてその死から逃れようとする日々。愛する者の死に向かい合うことが出来ずにいる「わたし」の物語に隠された真実。死に対する罪。
記憶から語られる物語の不確かさが暗喩となるある意味技巧的な小説。あまりに淡々とし起伏がない小説なので読む人を選ぶかな。私は好きです。


カズオイシグロブッカー賞を競ったというけど、カズオイシグロ『わたしを離さないで』とジョン・バンヴィル『海に帰る日』だけ比べればこの二人描く方向性は似てるかも?人を見る視点にひどく意地悪な視点があるという部分でも。ただ、カズオイシグロのほうがテーマがはっきりしているしドラマチックで読みやすい。ジョン・バンヴィルはいわゆるドラマ性は無いし感傷をひっくり返すという部分で万人受けはしなさそう。とりあえず他の作品も読もう。
それにしてもこういう作品を読んでしまうと、自分の「記憶」の不確かさのなかに何かないのか?と不安を覚えるね。そういう意味で胸がざわつく読後感でした。

海に帰る日 (新潮クレスト・ブックス)

海に帰る日 (新潮クレスト・ブックス)