クドカン歌舞伎を歌舞伎座で上演したこと

クドカン歌舞伎『大江戸りびんぐでっど』ですが賛否両論ですね。特に新作は練りあがっていない、手法が古典から外れるという部分で賛否両論になりやすいです。でもそういう反応があってこそ次へ続くので作品への賛否両論はあってしかるべきだし盛り上がるのは良いことだと思います。しかし、そこから歌舞伎座で上演したことの賛否へと繋がっていくのはどうなのか?と思います。歌舞伎は従来から様々なものを取り入れ発展し生き延びてきた芸能です。人形浄瑠璃、能、狂言、あらゆるものを貪欲に吸収し歌舞伎としての様式に取り入れてきた。その時々で人気のあるもの活気のあるものに目をつけてきた。現在だったらなんですか?現代演劇です。それを取り入れようとして何が悪いのだろう?芝居そのものに対しての評価うんぬん別として今、一線で活躍している演劇界の人たちが協力してくれてるのをやはり応援すべきなんじゃないかと思う。

それに歌舞伎をもっと活性化させるためにはそれこそ色んなものを上演すべきだと思う。私はクドカン歌舞伎は内容をもっと練り上げて物語をしっかり作ってほしかったという部分で芝居としての評価は今のところ初日を観た限りでは高くはない。けれど歌舞伎座で上演すべきでなかったとはまったく思わない。さよなら公演で、という時期が悪かったとは思うけど。まずやってみて、そこから、磨いていくなり、捨てていくなりしていくことが大事だと思う。それと芝居への評価は結局は観てる側の好き好きに帰依してしまうと思います。そこを間違ってはいけない。

私は新しい試みに関しては非常に大事だし応援するというスタンスですがそれでも最初は新作をわざわざ、歌舞伎座さよなら公演の時期に上演しなくても…とは思ったりしましたが、urashimaru様のブログを拝見し、「さよなら公演」で上演した意義もあるかも、とも思い直しました。古典が最初から古典ではなかった、ということを「歌舞伎」を観るうえで忘れずにいたいです。