松本幸四郎・「勧進帳」千回達成 偉業の陰に父と祖父

朝日新聞幸四郎さんのインタビュー記事が載っておりました。「まだ途上。夢は見果てぬものだから」だそうです。幸四郎さんらしい。

松本幸四郎・「勧進帳」千回達成 偉業の陰に父と祖父


作品ゆかりの奈良・東大寺で、松本幸四郎が10月に達成した「勧進帳」千回目の弁慶は、力強い様式美の中に熱く気高い生身の魂が輝く、節目にふさわしいものだった。初演の16歳から半世紀。「まだ途上。夢は見果てぬものだから」。語る66歳のまなざしは、過去への自信と明日への希望に満ちている。(西本ゆか)


 5千人の観客から喝采を浴びた千回目の「勧進帳」。「かつては歌舞伎十八番でも地味で、人気のない演目だった」と幸四郎は苦笑する。それを生涯1600回演じ、屈指の代表演目に育てたのが祖父・七世幸四郎だ。「最初は師の模倣だったはず。だが心理描写を加え工夫を重ね、生涯を終える頃には今なお舞台に受け継がれる独自の型になっていた」


 父・白鸚も数百回を重ね、弁慶は三代で3千回以上。現代で演じる自分の役割は「古典芸能を超えた、演劇としての息吹を吹き込むこと」と言う。「勧進帳で黙々と全国巡業を続けた祖父を思うと、歌舞伎とは一生かかって改革するものだと実感する。僕も目を閉じるまではずっと途上です」


 そんな幸四郎が「唯一、父祖に誇れる」と語る仕事は、実はもう一つのライフワークにある。


 27歳の時、日本の役者で初めて果たしたブロードウェーでの英語によるミュージカル「ラ・マンチャの男」主演だ。とはいえ、異国で歌い演じる60ステージは想像以上に厳しかった。心身共に疲れ果てた頃、日本から手紙が届いた。


 最初の数枚は、心配する母の言葉をぎっしり連ねた細かな字。最後の1枚は便箋(びん・せん)いっぱい、おにぎりのように大きな字。

 「俺(おれ)はお前を信じている 父」


 米国で見た父の勧めが演じる契機になった作品。「ブロードウェーの客席で父は舞台の役者に僕を重ね、いずれ息子がここに立つと確信したのだろう。信じられると人は思いもよらぬ力と勇気がわくものです」。信頼は自信となり、歌舞伎の名門ゆえ時に無理解な視線も受けたミュージカルで第一線を走り続け、「ラ・マンチャ」は02年に千回を達成。力を尽くした自負は歌舞伎へのエネルギーとなり「勧進帳」の記録につながった。


 弁慶千回の夜は、満月だった。「月を見て、回数よりも最高の舞台を何回できたか、今後何回できるかだ、としみじみ思った」。富樫は長男・染五郎。「彼の人生に何か思いが残せたなら嬉(うれ)しい。役者の親子ってそれしかないから」


 祖父の七世は晩年、心臓の病に苦しみつつも、「私の弁慶を今日初めて見る人もいる」と全力の飛び六方を続けたという。「父祖の名や役と共に、命をも引き継いだ私もまた、観客に力を与える永遠の花であり続けたい」。祈りを込めて、大仏の前で句を詠んだ。

 千年の佛(ほとけ) 千回の花役者


朝日新聞http://www.asahi.com/showbiz/stage/kabuki/TKY200811280215.html