幼きを助け二木の老桜

東京新聞の芸能欄の幸四郎さんのコラム、今月はやはり齋ちゃんの事。染とうたんといっくんのやりとりが微笑ましいです。高浜虚子「幼きを助け二木の老桜」の句が今月の情景にも被る。伝えていくということはこういうことなのだなと。人と人との繋がりなのですね。

<花鼓>歌舞伎 松本幸四郎 2007年6月9日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/tradition/CK2007060902022947.html


 水無月歌舞伎座は、梅雨にはまだ間があるような爽(さわ)やかな日に初日を迎えた。 今月、私は、二歳になったばかりの初孫齋(いつき)の手をとって揚幕を出る。 出の前に、齋は毎日、父染五郎と短い会話を交わしている。「じゃあ、とうたん(父さん)先にお稽古(けいこ)(舞台に出ることを、齋はそう覚えた)」。齋は「ウン、いっちゅもお稽古」。自分の出をじっと待っている小さな役者の背中を見ていると、胸が熱くなる。幸い、初日から今日まで、齋は途中で泣くこともなく、いやがることもなく、無事に舞台を勤めている。齋の小さな歩幅では、さぞかし歌舞伎座の花道は長いことだろう。まるで、齋のこれから歩む役者人生のように。


 顧みるに、私の初舞台は連日ぐずり通しで、母の着物を涙と紅と白粉(おしろい)でグジャグジャにする毎日であった。 昭和二十一年五月の東劇。「助六由縁(ゆかりの)江戸桜」で七代目幸四郎の祖父の助六、初代吉右衛門の祖父の意休。私は外郎売(ういろううり)の父に手を引かれた子役の外郎売だった。この舞台を祝って、吉右衛門の祖父が師事していた高浜虚子先生が、素敵(すてき)な句を贈ってくださった。


「幼きを助け二木の老桜」


 あれから六十一年。二本の桜は、私と弟(二代目吉右衛門)になった。感無量である。それにつけても嬉(うれ)しいのは、連日満員のお客様がたくさんの拍手をおくってくださることだ。いい芝居は、正しい批評眼を持ったお客様と、全身全霊で芝居に打ち込む役者とが作るものだということを、私は改めて確信した。